物理化学

物理化学とは、化学的な現象を物理学における法則や理論で研究する化学の分野の総称である。物理化学と聞くと単純に化学か物理かどちらかわからないという人がいるが、これは高校の理論化学を考えるとわかりやすいと思う。高校の物理での熱力学は熱はどのように発生するかとか、熱の効率はとか、この容器の気体の圧力はとかどちらかというと抽象的な概念だったと思う。それに対して、理論化学の気体分野はこの気体が、モル分率がといった気体の物理要素に加えて、気体の種類を考えていることより、ここが化学であるという点ではないかと考える。もちろん、計算法などは物理学から導かれたものである。例えば、気体を考える場合は熱力学であるし、原子は量子力学、電池は電磁気学などの物理的基礎が背景にあるが、ここに物質の種類を導入したことで化学に化けるのである。これこそが化学の本質であり、物理との大きな違いであると私は考える。物理化学は「物理に具体性を持たせた」というキャッチコピーがふさわしいように感じる。

古典力学

力学は高校まで履修した人は誰しもが必ず受けたことがある分野だと思う。しかし、力学とは裏腹に現代の物理学の中心は量子力学であったり、相対性理論であったりすることが多い。それらと対比して、力学は一般的に古典力学と呼ばれる。古典力学と聞くと何かしら古めかしい昔信じられてきたもののように感じるが、古典力学=時代遅れの学問ととらえることはナンセンスであると私は思う。もちろん力学の様々な現象を突き詰めると、シュレディンガー方程式アインシュタイン方程式の範疇に帰結するが、それが嘘を述べているわけではない。シュレディンガー方程式アインシュタイン方程式が生まれた理由は現実世界と乖離した場合を考えるためである。それに対して、古典力学は人間が生きる範囲の世界を見事に記述している。つまり、数学で未来を予想できるという物理の範囲の中で最もわかりやすい。そのため、物理学を学ぶ上で一番最初に学ぶのだろう。(ここで誤解してほしくないのは、私は量子力学相対性理論に対して、アンチ的立場ではなくどちらかというと賛成的立場である。)

 では、古典力学はなぜ現代物理学において注目されないのだろうか、それは古典力学の完成度が高いからであると私は考える。ほとんどの運動はニュートン運動方程式で記述できるのだから、ある程度まで研究は進んでいることである。また、潜在的に人間の想像力に古典力学の要素を考えることが出来ているという点である。(野球のボールを遠くに飛ばすときに45°方向に投げるなど)人間は知的探求心が高い生き物であるので、わかっていることよりも未知のことに惹かれる傾向がある。つまり、相対性理論量子力学は未知の世界であるから人間は惹かれるのではないかと私は考える。

しかし、古典力学は見える範囲で見えるものを記述するという点で非常に面白いと思う。古典力学のキャッチコピーはやはり、「未来が数式に描かれる」ということに違いない。

理系と文系

現代の日本において、理系と聞くとほとんどの人は少し距離を置きがちな内容だと思います。しかし、理系の内容はよく考えてみると非常に単純なことをやっているのです。自分は理系なのですが、ある教科書でこのような内容を見ました。

「机をたたいた時に手が貫通しないのはパウリの排他原理があるからである。」

この内容は量子力学的なパウリの排他原理という仰々しい用語が使われていますが、結局明らかにしたことは手が机を貫通しない理由です。文系の方が法律、心の在り方、哲学などより難しいことを行っているのです。自分は唯物論支持者なので、理系の様々な法則、理論はたった1つの数式で表すことができると考えています。この数式というものを用いて理系はいうなれば、自然に対して、表面をなでるようなことを行っているだけなのです。その自然を理解するためになでる方法が数学であり、あたらしいなでかたを見つけるのが物理や化学等であると考えています。

自分から見た文系のスペシャリストは雲の上の存在です、それなのにほとんどの国家の政略は理系を優先しようとする。これは、文明社会において理系は良い金稼ぎの道具であるからであると考えています。ここで注意してほしいのは、ほとんどの理系の科学者が研究を行うのは金稼ぎのための研究ではなく、自然に対する探求心なのです。この探求心は文系も同じであると思います。そこを理解して、学問は学問を行うことに意味があると自分は考えます。

※個人的な見解です。

 

ブログ始めました。

こんにちは、SHILKApomというものです。名前の意味は特にありません。

今後のブログは自分が興味を持ったものなどを適当にブログに書いていきたいと思います。内容的には真面目的な内容が多いかもしれません。

理系的な記事をどしどし書いていきます。